【思想】 社会の歯車になりたくない?


挨拶

こんばんは。今回は私の思想のお話をします。司法書士試験とはほとんど関係ありません。

私には追い求める「理想」があります。今回のお話はそれと関係する「思想」です。

実は、司法書士試験に挑戦しようと考えたのも、非常に間接的ではありますが、理想の達成のためという目的がありました。他の記事で私が収入零の NEET だと説明しましたが、今でも理想は持ち続けています。

以下のお話は、あくまでも思想であり、管理人の考え(意見のひとつ)に過ぎないことをお断りしておきます。

タイトルの趣旨

社会の歯車になりたくない?

この記事のタイトルですね。私が社会の歯車になりたくないと言いたいわけじゃないし、読者の皆さんに社会の歯車から抜け出そうと提案する気もありません。むしろ「社会の歯車になりたくない!」という方を強く批判したいと思います。

社会の歯車になるとは?

私の考え方になりますが、仕事の際に、個人個人が持つ個性が排除されることだと考えます。つまり、その人の仕事はその人にしかできないものではなく、その人が死亡したとしても、替えが効きます。仕事には殆ど影響がありません。もちろん死人が出れば身内は悲しみますが、仕事への影響はそんなものです。

「社会の歯車になるたくない!」という方は、要するに自分の持つ個性を出して、自分にしか出来ない仕事がしたいということですよね?

その気持ちは分からなくもありませんが、それが持つ意味を本当に理解していますか?

社会の歯車とブラック企業

ブラック企業の原因は何か?

最近、ブラック企業の問題がよく話題となります。政府も長時間労働の解消に向けた政策を打ち出す旨を、言明しています。

ところで、ブラック企業の原因は何でしょうか?

労働者を奴隷化し、利益の追求のみしか考えない経営者にあると考える方もいるでしょう。または、それを止める法律を作らない立法と行政にあると考える方もいるでしょう。これらが、主流の考え方だと思います。これは事実だと思います。私もそのような考えを全面的に否定しようとは思いません。

しかしですね…

私は、少し違う考え方をしています。

ブラック企業を作り出す真の原因は労働者にあります。

(ただし上記の通り、これに当てはまらない企業も存在すると思います。)

何故労働者が原因か?

社会の歯車の話を掘り進める

このお話をするには、社会の歯車の話をもう少し掘り進める必要があります。

社会の歯車と言う概念はどうして存在するのでしょうか?社会の歯車はどうして必要なのでしょうか?

これは簡単な話です。いざというときのために、替えが効くようにするためです。仮に、個人個人が持つ個性を尊重していたら、こんなときどうなりますか?

いずれも主語を省略していますが、労働者に起きた事象だとお考え下さい。

  • 会社を辞めた。
  • 不慮の事故により死亡した。
  • プロジェクトチームが変更された。

替えが効かないとするとどうなるでしょうか?

プログラマ/ITエンジニアの場合

プログラマ/ITエンジニアの経験が無い方のためにかなり端折りますね。正確に言うともう少し事情は違います。

私がプログラマ/ITエンジニアとして働いていたころ、プロジェクトチームが変更されるという事例にたくさん遭遇しています。私がそういう仕事を引き継ぐことも有りましたが、そのプロジェクトには個人個人の個性が入りまくっています。

結局、仕事を引き継いだ際、まず個人個人の個性の部分を解読することから仕事が始まります。「解析しています。」「解析しています。」「解析しています。」幾度この言葉を聞いたか分かりません。これは個性の部分を解読する作業です。

私の経験上、こうした作業が仕事の50%近くを占めていたと思います。そして、この仕事は生産性が有りません。何か新しいものを創り出す作業ではありません。だから、とてつもない苦行となります。

替えが効くこということはどういうことか

そろそろ私の主張したいことをご理解いただけた頃だと思います。

  • 有給が取れない。
  • 産休育休が取れない。

こういうことは、貴方の個性が仕事に反映されすぎて、貴方の替えが効かなくなっているから起こるのです。貴方の個性を排除し、替えが効くようになれば、他の人が替わりを務められるようになります。そうすれば、いつでも貴方が抜ける(休みを取る)ことができます。

私の「解析しています。」のケースもそうです。個人個人の個性を排除すれば、引き継ぎはスムーズに進み、そんな生産性の無い仕事は不要になります。この「解析」を無くすことが出来るとしたらどうでしょう?解析」に費やしていた費用(仕事の50%)は、会社の損害だったことになります。

「解析しています。」が発生している限り、この部分の損害は何らかの方法で埋めなければなりません。多くの場合、労働者にサービス残業を強いることになりまが、貴方の個性を排除すればそれもなくなります。苦行もなくなります。生産性の無いことに割り当てていた会社の資金や人員を、新しい物を創り出す生産的な仕事に割り当てることが出来ます。

この他、夜中に電話で呼び出されて私生活を犠牲にさせられる等という不満も聞きます。これも貴方の個性を排除すればいくらかは解決するでしょう。

どうすれば替えが効くようになるか

現実には様々な障害に直面すると思いますが、業務マニュアルのような規律を、可能な限り整備し、労働者をそれに忠実に働かせることです。それで個人個人の個性を排除すればいいのです。

夜中に電話で呼び出されるのを防ぐには、交代制の24時間体制の部署を作り、仕事をその部署に可能な限り委譲してしまえば解決できます。そのためには、貴方の仕事をのうち、あなたの個性が無くとも、誰でもできる部分を可能な限り広くしておく必要があります。

以下、ITの専門的なお話になります。興味が無い方は軽く眺めるだけで構いません。


規律を整備する上で、様々な障害に直面すると申し上げましたが、それは努力で乗り越えられます。例えば、ITの分野であれば、ウォーターフォールやアジャイルソフトウェア開発を死守し、貫徹することです。

こうした手法を知らない方には、プログラマ/ITエンジニアの仕事に個性が要求されるのは、やむを得ないと考えるかもしれません。そして「業務マニュアルのような規律」を整備することは不可能に感じるかもしれません。しかし、それは知識が無いだけです。

ウォーターフォールを貫徹するためには、完璧な仕様書を書けなければなりません。これには高い文章能力を要求されますが、幸いそれを鍛える方法はあります。

文章能力を鍛える方法としては、例えば応用情報技術者試験や高度情報処理技術者試験のような文章を書かせる試験を受けさせること、法律を勉強させること、ブログを書くように推奨すること等です。

アジャイルソフトウェア開発を実行するには、最低限、テスト駆動開発を完璧に実行する能力とオブジェクト指向の完璧な理解が必要ですが、これも教育に依り達成することが出来ます。

これらは、訓練により達成できるのですから、それが出来たとしても「個性」とは言えません。それは「スキル」と言います。


「個性」と「スキル」は異なる

ITの専門的なお話を例にしたため、分かり辛い方もいるかもしれませんが、「個性」と「スキル」は明確に異なるものです。

「個性」とは、鍛えることのできるものではなく、本当に個人個人が持つ特性です。

「スキル」は司法書士試験に合格するのと同様、適正が有れば、努力さえすればだれにでも身に付けることができるものです。(再現性があるという言い方もあります。適性は採用試験の時点で十分に担保されているはずです。

ITの専門的なお話の例に依れば、個人個人の個性を排除し、社会の歯車に替えるには、労働者個人個人に「スキル」が要求されます。しかし、長時間残業や休日出勤が常態化しているブラック企業では「スキル」を上げるための余力が無く「個人個人の個性を排除する」ことが出来なくなり、ますますブラック企業化するという悪循環に陥ると考えられます。

社会の歯車に「スキル」は必要ない。と考えるのは完全な誤りです。「スキル」無しに社会の歯車を作り出すことはできません。

ブラック企業の原因

もうお分かりでしょうが、以上のまとめになります。

私の意見は次の通り。

ブラック企業の最大の原因は、社会の歯車であるべき労働者が社会の歯車としての役目を果たしていないことなんです。

そうでなければ、労働者を社会の歯車にする努力をしない経営者にあります。

「社会の歯車になりたくない。」そうおっしゃる方は、自分で自分の首を絞めていないかよくお考え下さい。

管理人の場合

私が会社にいたころは「社会の歯車でいたい!それが会社員の誇りだ!」と考えていました。

会社を辞める際に引き留めに遭うこと。それは、会社員として最低の恥だと考えていました。

だから、仕事をするときは、いつも自分の個性を排除する(並行してスキルを付ける)ことを何よりも優先していました。

少々自慢が入ります。

私はプロジェクトマネージャをしていましたが、専業受験になったとき、2年かけて作ったシステムを、僅か2週間未満で引継ぎました。

その2週間の間、残業も休日出勤も一切発生させておりません。これに加えて、新機能の追加も同時並行して進めながら引継ぎました。その後、私は有給消化に入りましたが、有給消化中に会社から1本の電話もありませんでした。

私が自分自身の個性を排除する努力をしていなければ、引継ぎに多大な時間がかかり、退職に引継ぎが間に合わなくなる可能性がありました。そうすれば「解析しています。」が発生し、会社に多大な損害を出したと思います。

人間性とは

  • 個人個人が持つ個性を排除すること。
  • ブラック企業に依り私生活が侵害されること。

どちらも人間性を欠くように思われます。すごく矛盾しているように感じられる方がいるかもしれません。これは語彙の問題です。

ここは「人間性」とは別に「属人性」という言葉を持ち出す必要があります。

「属人性」とは、正確な表現じゃないですが、個人個人が持つ個性を排除しないまま放置し、仕事の進め方が個人個人のやり方に依存してしまい、その結果、その人の替えが効かなくなるという性質のことです。

  • 個人個人が持つ個性を排除すること。⇒「属人性」を排除すること。
  • ブラック企業に依り私生活が侵害されること。⇒「人間性」を否定すること。

多くの場合「属人性」と「人間性」は相容れない概念になります。(相容れる例外もあります。)

これなら、矛盾を感じないでしょう?

人間性と属人性のお話として、恋愛を事例に挙げた意見を拝見したことがあります。(以下、概要のみ)

失恋したら、休みたくもなるでしょう。

「そもそも恋愛なんてするな。」と言いますか?

それは明らかに人間性に欠ける発言です。

属人性を排除することは、すごく人間性のある行為です。

属人性は絶対悪なのか?

ここがまたややこしいお話です。属人性はブラック企業においては大筋では悪です。

というのは、ブラック企業の場合、個人の個性を尊重しようにも、生産性のある仕事に結びつきません。引き継ぎのコストを増やす等、損害の原因にしかなりません。(そして、その損失を埋めるため、サービス残業等の害悪が生じます。これが「人間性」の否定です。)

しかし、属人性の排除が進んでくると、個人個人の個性を尊重し、その人にしかできない仕事を任せる余裕が出てきます。ここへ来て、ようやく労働者に「社会の歯車」以上の働きを期待できる段階になります。

これもまた、矛盾しているようですが、労働者を「社会の歯車」で終わらせないためには、一度は「社会の歯車」になってもらわなければなりません。

専門的かつ、全くの余談ですが CMMI もこのような思想に基づいていると思います。

最後に

社員を奴隷化し、利益の追求のみしか考えない経営者にあると考える方もいるでしょう。それを止める法律を作らない立法と行政にあると考える方もいるでしょう。これらが、主流の考え方だと思います。

最初にこう述べていますが、こうした考えを全面的に否定する意図はございません。そういう企業もあると思います。しかし、私が所属しいた企業は、「属人性」により、労働者が自分で自分の首を絞めている状況にありました。そういう企業もたくさんあるのではないかと思います。

付言しておくと、私は、経営者には労働者を社会の歯車にする(「スキル」を付けさせることを含む)努力をする責任が有ると考えており、それを経営者がしないのであれば、その場合の責任は経営者にあると思います。

それから、以上のお話は自営業や経営者、芸術家等には当てはまりません。追補が必要なところだと思われ、後日記事にしたいと思います。

長いお話にお付き合いいただきありがとうございました。

これは私の「理想」にもつながるお話です。「理想」のお話をするには、もう少し前提となる記事を書く必要があるため、少し先になると思いますが、ご期待頂ければと思います。


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